ライフログをGoogleに溜め込んだ人が死んだらGoogleは墓立ててやるべきだと思う。故人にいつでも会えるようなやつをさ。
今までは知っているか知らないかで境界線を引けたんだよ。でももう知ってるからって優越するとは言えないし,知らないからって劣後するわけでもないのよ。あることをよく知っている人が他のことを全く知らないなんてことは容易に露呈するし,知らない人は検索すれば済むんだから。
23区を舞台にしてばんばん固有名詞が出てくるようなフィクションは,東京に一切縁がない人にはどういう風に映るのか前から興味ある
なかなか難しいなー。昼に書いたけど,htmlで書かれた個別のページにトップページへのリンクが張ってない場合なんかはそれこそ文脈が途切れている。
インターネットのアーキテクチャが文脈を消そうとする方向性にあるなかで,少し立ち止まって文脈を確認することをリテラシーとして教えることの是非とかどうなんですかね
Googleの検索結果からgeocitiesに放置されてるカビ臭いページを楽しんだはいいがトップページへのリンクがなくてURLを削るあたりで涙が出てきた
嘘を嘘と見抜けないと(以下略),っていう例の標語は,「見抜く」っていう言い方のせいで,さも高度なアビリティかのように思わせるんですよ。そしてそれがネット原住民の自己愛と強烈に結合するわけ。



みき・お













