パイナップルを自分で切ると、芯と皮を贅沢に取り去って甘い部分だけ食べることも可能なのだけど、貧乏性ゆえにぎりぎりを攻めてしまう。
テレビでのスカイツリーのポジティブキャンペーンが激しいのを見るに、そらテレビ業界は持ち上げんとあかんよなあと思ったりする。
要はおばちゃんの話題提供のためでしょ、あれ。たまに休みで平日の昼間にテレビ見ることあるけれど、ワイドショーの間にやってるCMってことごとく「ダイエット」か「掃除が楽になる」とかそういう話ばっかり。それ自体は別に悪いことでもなんでもないんだけど。客層ってそういうので解るという。
いまワイドショーやってる枠を停波すれば節電になり、訳の分からない芸能ニュースも流れなくなり、色々と捗るのでは?
自由というのが何をやってもいいやりたい放題にすることだとしたら、自由同士がぶつかって収集つかなくなる。それは子供の自由なんじゃあないかなあ。
『自由』のことを何をやっても良い状態、枷がない状態とする考えあるけど、何か違うのよね。自由って、あらゆる瞬間に選択肢を持って、責任をもってその選択を選んでいくことなのではないかな。だから自由になるためには、自分がいる場所や状態を知って把握しないといけない。
得手不得手というのがあるし、学ぶまでに積み立ててきた基礎というのがあるから、どうやったって解らないだとか掴めないことというのはある。身体的な事であればあるほど解りにくいし、概念もストンと腑に落ちるまでは理解できない。
自分で何が解らないかが解っていれば、解らないこと自体はそんなに問題ではないです。解らないことは誰かに聴くなりすればいい。解っていないのに解った気になると、他の人の意見が聴けなくなったり、解ってない穴だらけのものを作ってしまう。
基礎からやって解らないんだったら、その解らないのがネックになります。応用からやると、何が解らないんだか解らない人になる。そういう人は、人に物を教えるのも苦手だったりするんですね。自分でも何が解らなくて解らなくなったかが解ってないから。
料理も、いくつかの基礎みたいなのを掴んでたら、トリッキーな方法知らなくてもいいんじゃあないの、って思う。



ディービィー
















