「あらゆることに無関心を装いながら、本当に無関心なのは自分自身」という後ずさりの倦怠感によってのみ自己を確認できるという実存のねじれ構造が普遍的であるとして、その参照と確認のテンポを維持できる人が延命できて、変則的だったりハイテンポの人が死に至る。
都市に住んだ経験のある人が田舎に住むことになると、都市部まで買い物や体験を買いに行くための田舎税みたいなものが発生して、この税率は特に向上心を持っている人には重くのしかかるらしい。
過度の承認欲求をお互いの理解にすり替えて自己肯定する恋愛ポエム女子と、そうした言説に耐えられず欲望を率直に表現することが正当なつきあい方だと思い込んでいる非モテ裏返し男子を、精神と時の部屋に閉じ込めてどっちが先に発狂するか観察したい。
趣味や様々な関心が極限まで細分化して、お互いのコミュニケーションが絶たれたというのは今や常識として、最近の気持ち悪さは、依って立つ足場がまるで異なるのに、消費スタイルや思考パターンが驚くほど類型的で、しかも10年以上前に使い古されたものだということ。
客観的には趣味の域をでないのに、本人は何かしらの意義あることを述べていると自信満々だったり、あるいはその事実を自覚しながらも「それはそれ」と開き直りながら、オフ会レベルのコミュニティーを形成することで癒されてしまっている状況って極めてゼロ年代的。
「チョコレイト・ディスコ♪」のリズムで、「天よ地よ、海の魚、空の鳥、家畜、獣に人びと、地を這うすべてのものよ、我を讃えよ、我を崇めよ、今こそ救済の時、千年王国は来たりて無辜の民に慈悲を与えん」って謳いながら踊ると楽しい。
まんべくん、件の事件以降、中の人が見えているのに見えていないことにする浄瑠璃っぽさが一段と増した。
ほとんど愚痴の域を出ないゴミリプライに応答することが公共の場での議論だと勘違いしているやつなんなの。
有名人にリプ送って秒殺論破された後に、開き直ってキレるのは純粋な狂人だと思うけど、たしなめられたらあっさり謝罪する程度には十分な冷静さを持ち合わせる人は、なぜ暴言を吐いたのかよくわからないことが多いし、捻じれた狂人という感じがする。
相対的に「これから」を生きるであろう若年層が、社会に埋没することで最低限のアイデンティティーを獲得しようと必死になって、出る杭を打つ一方で、年長世代が「これからは個人の時代」って既存の慣習や社会システムに依存せず自立を促す逆転現象って、冷静に考えて結構笑える。
酩酊するなり、睡魔に襲われている状態のほうが普段思いつかないアイディアが飛び出すことがある。明晰な論理や記憶力によって丁寧に整理整頓されていた棚から、それらの低下によって次々にこぼれ落ちて交じり合うことで偶発的な化学反応が起きるような感覚。
目の前の仕事に必死になると、それまで自分が関心や情熱を持っていたことが、途端にどうでもよくなってしまうことはよくあるけど、それでもなお時間や集中力を割り振って、興味を維持できる余力が残されている人はごく一部だなーと最近思う。余力よりも、維持する動機がなくなるというほうが正確か。
虚構新聞を真に受けた人を「情弱乙」と批判する集団は、ソースを確認する等のネットリテラシーに長け、2ch・vipperの笑いのセンスに知悉して、「流石に橋下徹でもそれはやらない」と判断できる人が社会全体にどれほどいると思っているのだろうか。ネット的笑いのセンスに居直っているのでは。
ついったらー超会議、ぼくに見られないことを目的にキャスティングしたような人選ですね。



Motoharu Kishi


















