「植物の精油=植物由来=身体に優しい」と考える人があまりに多すぎるんだよね。4〜5年前、アロマのスクールで「アロマを仕事にしてる人の家の子にラベンダーアレルギーが増えてる」という話を聞きました。精油だって「化学物質」のひとつ。暴露が増えれば当然アレルギーを引き起こす確率も上がる。
批判的な空リプってほんと構造的にズルいよね。やられた側が、「私のことですか? それでしたらこういうふうに誤解です」とかって反論がきた場合に、「え、なに言ってるんですかあなたのことじゃないですよ、自意識過剰なんじゃないですか?」ってとぼけられるからね。
確かに子育てというのは効率と真っ向から対立するような営為だし、教育においてあまりに効率化をはかることも何かを取りこぼすとは思うけど、でも、だからって「手間をかけるほど美しい・素晴らしい」わけじゃない。これ以上母親たちを追い詰めないでほしい。本人たちにも気づいてほしい。 #墓守娘
カウンセラーから聞いてぞっとした話がある。ボコボコに殴られて痣と生傷だらけの子と、殴られることがなく無傷だけどネグレクト(無視、放棄)されてる子のどちらが予後が悪いかというと… 後者なのだそうだ。 #墓守娘_
言われたとおりにガンガンに加湿して寝てみて、今も加湿して過ごしてたら… 人恋しさや不安感、悲しいような気持ちが劇的に軽減した! 嘘のようだが、東洋医学的にいって肺経(呼吸器系や皮膚などを含む概念)の乾燥と「哀」の感情はつながってる。だから、全くもってありえなくない!!
「震」「災」は既に使われてた一文字だった、って話には半分くらいは納得する。でも、95年にはまだ「震」って言えたのに11年に「絆」としか言えなかった、というところに、抑圧の怖さ、そんなふうに抑圧してポジティブワードに縋らなきゃいけないほどだった震災の深刻さに、改めて震撼した。
95年の結果との違いが怖い RT @jbfs66: 95年 震
96年 食
97年 倒
98年 毒
99年 末
00年 金
01年 戦
02年 帰
03年 虎
04年 災
05年 愛
06年 命
07年 偽
08年 変
09年 新
10年 暑
11年 絆 ←New!
#今年の漢字
これめちゃめちゃよくまとまってる。維新の会の条例案とそれに関わる「親学」、これを推進する教育団体や政治団体、個人などが一目瞭然の表になってる。一読の価値あり。:トンデモ教育論「親学」を推進してる人たちの話 - 俺の邪悪なメモ http://t.co/39md493r
【節電】【鍋でごはん炊き】炊飯器は物凄く電気食います。鍋でごはん炊くのは意外と簡単。余裕ある方挑戦を。/洗米→30分浸水→深い鍋に投入、パーの手入れて手の甲ヒタヒタ程度に水加減、フタする→沸騰してフタがカタカタいうまで強火→弱火にして13〜15分、火を止める→そのまま10分蒸らす
ふー。この歳になるとそうそう迂闊に恋しないほうがいいなーとか思ったりするわけだ。なんていうか、恋というのは日常を破壊し、相手の心に土足またはブルドーザーで踏み込んでいくようなことなので、自分は傷つくし、何より相手を傷つけかねない。
『元エホバの証人だけど質問ある? : ガラパゴス速報』 http://t.co/KUuEy4yC via @galasoku
思うに、外国って光が違うんだよ。だからその土地の人々の色彩感覚はこちらのそれと違うし、その映り方も違う。だから外国での記憶ってときどき幻想のようになる。これ、しばらくの間私のただの感傷的な思い込みだと思ってたけど、あとから、緯度が違うなら光の感じが違うのも当然だと気づいた。
私、ふぁぼりの星の人なので基本ふぁぼりすぎなんだけど、この人が自分のふぁぼられ見ててくれるといいなって願いながらふぁぼってる。ふぁぼの魔法ってあると思うんだ。あそこには何かある。ことばではない何かが。(まあ開けたら中はことばでできてるわけだけどそこは置いといて)
周囲のほうがまともで正しいのだから、世の中はそういうものなのだから、周囲に合わせろ、と言う。でも合わせたら合わせたで、もっと自由でいい、言ってくれなきゃわからない、○○らしくない、などと言う。これは、あらゆるマイノリティや弱者に対し、「普通」の「大人」が向ける暴力。
昔、母の仕事場にボランティアのおじさんたちがやってきた。母たちはもともと厚意で、タダで彼らに紙カップでコーヒーを提供してたんだけど、一人のおじさんが言った。「我々は人のために働いてるんだぞ。ちゃんとしたコーヒーの一杯くらいなぜ出せない?」 …もうあらゆる意味で間違ってるよね。
「<censored>」をいろいろと言い換えるのってナンセンス。<censored>は<censored>であって<censored>以外のなにものでもない。「H」はヘンタイの頭文字だそうだけど、<censored>それ自体のどこがヘンタイなのか。「寝る」とかどんなトレンディドラマかあるいは春樹だ。「抱く」とかどんなジェンダーまみれだ。
日本人てのはつくづく、「世間様という神様」を信じる宗教の信者なのだなあ、と思うわ。健康よりも命よりも家族よりも愛よりも安らぎよりも世間様を優先してときには「殉死」さえするさまを見ていると、これは「世間様という神様」のために死んでいるのだとしか思えないことがある。
現在の聖書では「アガペー」は「愛」と訳されているが、これは誤訳だ、と本田神父は言っている。アガペーは、「愛」から連想されるような、好意と親しみから来る、ウエットで、家族の一員として共に暮らすようなものではない。一人の人間として公正に「大切にする」というニュアンスの言葉である、と。



クスノキ


























































































































