夢魔クラスタがサキュバスとか英語風の読みにこだわるの、「ブス」の音を避けてるのかなと思って検索したらルー=ガルー2のタイトルにはなってるのか。http://t.co/Lq7HnFf5
スト魔女への姿勢は、接したときの精神状態が尊さを増したというのもありますが、作品の器が当初の想像より大きくて威儀を正した勢いがまだ続いてるというのはあります。
文化資本、サブカル寄りインテリがメインカルチャーの素養がないことを自虐する言葉としてバズってるのかと思ってたらサブカルそのものの意味になってたんですか死ぬ
しかし「団結」をはっきり謳っていて、比較的仁義がまもられているというか、よく訓練されているように見えるアイマス人士の中にも、続編等での新キャラは二級市民として扱う派は多いようなので、あれ、あ、別に言いたいこととかない。
関係ないですけど、いややっぱりあるんですけど、非ハーレム系女の子わんさかコンテンツについて、あるキャラクターを持ち上げるために別のキャラクターを貶めるような物言いは仁義に反する気がしてエンコ詰めさせたくなりますね。
これが百合的な人間関係に対する無理解に起因するものか、あるいは正ないし公式カップルがあらかじめ設定され嫉妬・痴話喧嘩が決して茶番を踰えない平和な世界そのものへの斜めの視点なのか、あるいは2期6話への経験の偏りから来るのかと迷って1期6話でサーニャの描き込み確認したら解決しました。
エイラーニャの触媒としての宮藤、というのはよくわかるのですが、サーニャについて、その尊さを彼女自身ではなくエイラが好きな相手として機能的に認識しているというか、もっというとエイラのかわいさの触媒として、その意味で自分の中では宮藤と変わらない位置に置いている気がしておりました。
つべで見た久保ミチロウ先生の自意識のありよう、複数の知人に当てはまるので、才能の有無なり多寡なりとは別に、おもしろくていたましい一つの反応系としてそれなりに普遍的っぽい。
文々さんのアマガミ妄想における薫の立場、体制の矛盾を一手に引き受けさせられてる被差別階級みたいでつらい。
敢えて使う熟してない「み」、最近よく見て抵抗あるけど、富野語だったらむしろテンション上がるので、自分の感覚なんて信用ならないですね。https://t.co/rOYG4hS6
「(2)『-さ』は、全ての形容詞、形容動詞を名詞化するが『-み』は、全ての形容詞、形容動詞につくとは限らない。
(3)『-み』は、元々は『味』と表記したが、近年ひらがな書きになった。」http://t.co/AwsBFW9z ふむ。
昼間TLで見かけたので出してきてみた上田大王ウテナ本(http://t.co/zPe7oeBR)、「いいがかりのような/ものを描いちゃったが/いいがかりにしか/ならんところが/本編の弱さか/なんつったりして」(後書き)、「大袈裟なものはすぐ飽きます」(裏表紙)、まあそういう。



くーりえ




