「現実に目覚めよ」的な論法。虚構に依存する心性の自意識やナルシシズムあるいは偽善への逃避を想定し、その見えないところに位置する「隠された真実・現実」をででーんと暴露して誰彼を脱臼する手つき、それ自体も虚構であらざるをえないことを無視していて見かけるたびに「またか」と思う。
そういえば文庫になったんだったか。永井均『倫理とは何か 猫のアインジヒトの挑戦』 http://t.co/GL48MsnV
そういえば東スレにあずまんが降臨したとき、「永井先生しってますか?」→「知ってます。読んでます」→「永井均じゃないです」→「え、じゃあ知らないwww」→「永井均の独在論について一言」→「ここで語るのは無理」という流れがあったのだけど、それがどこかで語られる機会はあるのだろうか……
@columbus20 アインジヒトと先生は<私>と世界の関わり方の違いや功利主義者(利己主義者)と義務論者の違い等がそれぞれ対応する人格って感じですかね~。道徳の基礎については「毒もみ」に感服してみせるけど、倫理の形式については二人が一致しうるという構造という感じなのかな、と。
@columbus20 永井におけるウィトゲンシュタイン的なものとニーチェ的なものがどう関係するのかは難しいところですね。ズレがあるようにも見えるけど永井的には一貫しているというか何というか…
ああ! 永井の猫倫理本(たぶん)で出てたなあ。読んだのはかなり昔だけど強い印象が残っている>『毒もみのすきな署長さん』
そして昨日の指輪ツイート、今日の二軒目ラジオでのおこのぎさんの執拗な話題の振りを経てついに神主の告白という展開でした。ご結婚おめでとうございます。例大祭と式が重なったため神主は不参加だそうですが、例大祭ではなにかイベントをやるとのことです。
そんな感じで、今日の二軒目ラジオでは神主の結婚(してた)宣言。お相手はスペシャルサンクスに名前の出ていた方で長い間のお付き合いがあったとのこと。結婚式は例大祭の日と被ってしまったので不参加だけど「祝ってほしい」とのこと。おこのぎ&へっぽこさんは傷心旅行でモロッコへ。
n次創作の連鎖にばかり注目していると忘れがちになるけど、東方という祭の維持には深遠な配慮が存在しているんですよね。ZUNさんは物語作者たろうとはしていないように見えるけど、物好きなアマチュアたちの同人環境を整えるために神主としてきわめて丁寧なまつりごとをしている。
ZUN「(……)私は魅力的だった頃のSTGを思い出し、その古の方法論で東方を作ってみたんですよ。『弾幕』を魅力的にする為に、弾幕をスペルカードという名前で『パッケージ化』し、『名前』を与え『見た目』に意味を持たし、『キャラクターと能力』によりゲームとの不整合さを消す、
『知の欺瞞』も文庫化されるし人文科学の基礎についてもう少し考えておこう。このまとめとか読んでるとすごい圧迫感を感じる。今までにないキツい圧迫感を。(向かい)風・・・なんだろう吹いてきてる確実に、着実に、人文知の方に。
スレタイに反応してしまうのはわかるんだけど、理論について語る人の衒学的な自意識を暴く手つきも「純粋に作品を楽しむ私」として脱臼されてしまうよ。【「文学理論」も知らずに小説読んで「感動」してるやつはバカ、それ「洗脳」されてるだけだから】 http://t.co/mVfZ6LMA
あるいは逆に、そこに「狂気」を描こうとする作者の意図を見る人もいるかもしれない。そのような眼で見ると、確かに全ては演出であり「狂気」は極めて理性的に配置されていることがわかる。そうやって興醒めして視聴することも可能だろう。洗濯船さんはまったく狂っていない。
もちろん暴力や脳漿はそれ自体は取り立てて狂気的ではない。しかしここではそれらがあまりに唐突に現れるために意味が見えず、不気味なのだ。
何よりもこの作品に狂気を感じてしまうのは、「暴力」とその脈絡のなさによるのではないだろうか。こいしたちはあまりにも理不尽に暴力をふるうし、作者も演出によってグロテスクなものを視聴者に突きつける。それは表現の中で過剰なウェイトを割かれている。血の量が多すぎる。



だるにこる






