僕たちは物語の始まりを根本的には選ぶことができない。けれども、その物語を起点にして物語を進めたり変更していくことができる。
その物語の続きが見たいと思わないだろうか。僕はそう思うのだ。僕は僕のこの物語の続きが見たい。ただ一度だけの本気のゲーム。けれど、それは僕だけで編まれる物語ではない。その発生の起源から、もうどうしようもなく他者によって形作られている。
そんな中で自分の物語が形作られていくのだ。それは様々な形式的なパターンがあるにしろ、その人だけの特別な物語。
もしそんな人やものに出会ったら、何故自分がそう感じるのか考えてみる。自分が今まで生きてきて体験してきた様々な出来事、もしかしたらトラウマとか、色々な理由がそこに見つけ出されるだろう。両親や祖父母などの影響もあるかもしれない。それに、家庭環境や生まれた場所など。
その中で自分なりの答えを見つけ出して行く。方法はたくさんある。自分が関心を持つものは何なのか、何故それに関心を持つのか。それを潜って考えてみる。そこに自分の大事な部分、自分の一部であるような部分がある。僕たちは、まるでそれを見つけるための旅の途中のように生きている。
もちろん意識的に振舞わなくても、すでに存在しているだけでこの世界との関係を持っているわけだが、そのあり方をどのように結び変えていくのか、それを考えていく。
世界史の中で自分の位置を考える、というと、結構あれな感じに思われがちではあるとは思うけれど、僕の思考回路にはそれが抜き難く組み込まれてて。
何か新たな活動を始めると、必ずと言っていいほど、反発や抵抗が起こる。ここ最近、そのことをあからさまに感じることが連続で起きている気がする。その反応の根源に何があるのか。そのことを見定めていきたい。
本当に僕は昔から何も変わっていない。そのことを最近、よく感じる。その変わらなさを軸にしていくこと。その軸が仕事となっていくこと。幸せというものがあるのならば、そういうことなんだろうなぁと。
そのためにはまだまだ沢山のことを学んでいかなくては全然足りない。けれども、まだ見ぬ経験や知識に出会えることは単純に楽しみだ。それは生きていく上での大切な糧となる。
なので僕が目指すのは、必要なのにないものを作って形にし、上手く回る状態にして、自分がいなくてもいいような「場」を作ることだ。それが今から少なくても数年間の目標になるだろう。
それで、全てが上手く回っていって事足りているのであればいいのだが、世の中には動いていないリソースや必要なのにないものが沢山あって。
世の中には上手く回っているところにぐいぐい食い込んでいって存在感を示すというタイプの人もいるけれども、自分はそういう全くタイプではない。ていうかそういうの嫌だ。
昔からそうなのだけれども、僕はある「場」があってそこが上手く回っている場合、そこにいると何で自分はここにいるんだろうと思ってしまう。
【未来回路.com】「人文系とビジネス系の架け橋として」、『学習する組織』(ピーター・M・センゲ 著) http://t.co/ndbt3IZP
都市システムの発達に根本的なメカニズムが存在する可能性があると。言語学における生成文法みたいな話やね。 / “世界の地下鉄網は「同じ形」:ネットワーク分析で判明 « WIRED.jp 世界最強の「テクノ」ジャーナリズム” http://t.co/CW9cTTCX
つまり、食べるための仕事でない仕事も貨幣経済に組み込まれていく過程と捉えることは出来るんだけど、実際どうするかは当人に委ねられている。この自分で「コントロールできる」、ということが結構重要なのではないか、と思うのです。
けど、お金が発生せず誰かの具体的なニーズに合わせる必要がないので、自由に色々と実験することが出来る。その中で将来、対価を受け取れる仕事と重なるエリアも生まれたり。別に生まれなくてもいいし。
食べるための仕事は他人のニーズを満たして対価を受け取る行為だけど、やりたい仕事については対価は基本的に発生しないことがほとんど。



y.nakagawa




