ツイッターしながら帰宅すると、玄関の前まで来ても「あ、これふぁぼってから・・・あ、その下のこれも・・・あ、これもふぁぼらなきゃ・・・あ、もう一個ある・・・」ってなってなかなか鍵取り出せなくて凍える。
<censored>って言葉かわいいよね。<censored>。ナ行が2つ並んでるのがいい。包み込んでくれるような優しい響き。ニーって伸ばすのもいいよね。口角が上がって自然と笑顔に。<censored>。素晴らしい言葉だ。
頭弱すぎて、そのときの話に関係のある話題を出したはずなのに、話してるうちにどう関係あるのか自分でもわからなくなってきて、「それが一体どうしたというのだろう」って雰囲気作り出すの得意。収拾つかなくなって話題変えざるを得なくなるし、あとで思い返してしばらく人と話せないくらい落ち込む。
甘い物には紅茶!コーヒーには肉!冗談じゃなくコーヒー飲んでるとウィンナー食べたくなるから、コーヒーにウィンナー突っ込んで「ウィンナーコーヒーだよ」って持ってきてくれる友達がいたら惚れちゃう。友達が男ならご自慢のウィンナーもいただいてあげちゃう勢いだし、女ならお返しに僕のウィンナー
自分で大好きなpostがPopularから消えて行くの悲しい・・・黒歴史がいつまでもPopularに居座り続けてるのが憎たらしくてたまらない・・・
「死にたいけど死ぬ過程が恐い」ってのと、「ジャムになりたいけどジャムになる過程が恐い」っての似てる...!!
例えば「こんなこと言ってもしょうがないし」って思ってしまって言葉が口から出て行かない。意味のないものには価値がないという思考図式に侵されているように感じる。脱却したい。意味を見いだせない言葉でももっと気軽に何も期待せず放り投げられるようになりたい。言葉だけの話ではないけれど・・・
ことばってのは民族文化の中に大きな歴史を持つだけじゃなくて、ひとりひとりの人間の内にも一語一語がそれぞれ歴史を持っているよね。同じ一つの単語でも人によって何を想像するか、何を思い出すか、どんな印象を受けるか、どんな気持ちになるかは違っていて、面白かったり不便だったり素敵だったり。
自分がその中に住んでることを想像しながら食べるオムライスおいしいし、想像しなくてもおいしい、だがそんな想像をめぐらすことでオムライスは私の知覚のより深いところへ唯一の巨大な対象として立ち現れ、私の意識はただその一点にのみ収斂されてしまいもはや逃れることはできない
正確だけどわかりづらい直訳だらけの翻訳小説を読んでいると、海外ドラマの字幕の訳し足りなさのなんと素敵なことか
家族でテレビを見てるときなんかにちょっとアダルトなシーンになって微妙な空気が流れる現象を家庭内禁欲と名付けようってもう誰かに言われちゃいました・・・?
一人暮らし4年目にして初めて自分の住んでるとこの町名のローマ字表記を目にしてやっと正しい読み方を確認できた。
「そんな芸術誰も望んでいないんだ・・・もうやめろよ・・・」「うるせぇ!誰にも望まれなくたって、俺の中を渦巻くこの熱いパトスを表現しないわけにはいかねぇんだ!」って会話を想像してみたけど、洗濯機の中で洗濯物が芸術的な絡まり方するの全然許す気になれない。
自分の好きなもの、自分から受け入れたものならまだしも、いつ影響を受けたのかも、はたして何に影響を受けているのかさえ気付かないような得体のしれないもののごった煮が自分なのだと考えるとなんだか気持ち悪い。得体の知れないものは私。
小さい頃、サンリオのけろけろけろっぴ大好きだった。小学生のとき密かに想いをよせていた女の子も、どことなくけろっぴに似てた気がする。
僕も温かい手のひらの上で圧力をかけられてバラバラな僕の破片をひとまとめにされたり、回転させられて角がとれたり、時間が経つにつれてぴったり身体になじんでくる黒い鎧を着せられたりしたいよー!
今favstar開こうとしたらなぜかTwitterから「申し訳ありません。そのページは存在しません。」って言われて何が起こったのかわからない・・・



ジェレミー





































































