からだは色々言葉を選びながら、色んなものに例えながらわたしに何か言おうとしてるんだなぁって、最近フォーカシングしてて感じる。今回もそうだったなぁって今振り返ってる。
誰が泣いてるかわかんないような感じもあった。でも泣いてるひとを大事にしたいという確かな感じでそこに居られた。
その針金のような内側の声を聴いていると、からだが上へ伸びる感じがして、立ち上がろうとする方向へついていった。途中までからだが持ち上がって、今度は下へ向かう太い声みたいなものを感じた。喉や首の付け根が下方向へ左右に押し拡げられるような。それを感じているとからだが完全に立ち上がって
その時外で遠い救急車の音が聞こえて脳裏に救急車が浮かんで、同時に遠吠えする狼のイメージが浮かんだ。救急車と狼が頭のなかでダブって見えた。そしたらからだのちょっと右寄りの縦の真ん中の針金くらいの細さを感じて、そこから細い声みたいなものが出てくるのを感じた。
するとカチッと不動の塊になってたからだがじわじわ前へほどけていった。足の間に挟まった手も水に重ねて感じていた。砂浜に染み込みながらじわじわと進む水みたいになった感じ。
自分に言い聞かせる言葉をかけてみた。それから海にそそぐ土管のイメージが出てきた。砂浜へ口をあけている土管。自分のからだがその土管になったみたいな感じのイメージ。ちょろちょろ水が流れて砂浜へ出て行く。
最初に夜の海のイメージが浮かんで、そのイメージに反発する感じも出てきて、押し合ってるみたいに流れが止まる感じ、からだが下に行って丸くなって畳に固定された。もう自分はこのセッションで動けないんじゃないかという不安がわいたので、動かなくてもいいんだよ、と踊る時に不安になったら、
胸の下のほうに紙くらいの線くらいの切なさを感じて、そこに集中して息を吸った時にその切なさの幅がぐーっと上に拡がるような感じがした。何度か息を吸った。縦長の窓のブラインドが上がるような感じ。これから幕が開いてはじまるのかな?って思って内側が用いたそういう比喩?にちょっと感動した。
わたしはいつかわたしになってみたいって今思ったけど、それってつまり、わたしはいつかこれでいいやって思いたいってことか。
今日思ったのは、ここをこうしたらいいとかいう学びを与えられてるだけではない、もっと先生からわたしたちの肉体に対する非常に直接的な働きかけでもって意識とは別の次元で肉体を作ってもらってる的なこと。そういう、先生の演出を受けに行ってる、肉体を作ってもらいに行ってる。的なこと。
メモ:空間と出会う。空間を愛する。空間に感謝する。そしたら一緒に踊ろうってやって来る。世界の悲しみが自分の悲しみになる、それをしぼる。俺の悲しみはなんてちっぽけなんだろう。故郷の山河を思う、そのうち忘れる、残念が湧いてきたらまた故郷の山河を思う、そしてまた無になっていく。
5月24日(木)東京で『「踊るフォーカシング」を観る/聴く会』開場13時、セッション13時半過ぎ〜14時半位、シェアリング〜16時位(休憩適宜)会場:千代田区麹町区民館1F和室A「F & S」。詳細はリンク先を。 http://t.co/YdvitCn3
ちんげん菜白葱人参エリンギ豚肉の炒め、茹でたスナックエンドウとマヨネーズ、干ししいたけと豆腐とわかめの味噌汁、麦入りご飯。
「見て見ぬ振り」!いいですね!そうしようと思いますw“@SasaraPhotos: @kakiuchimiki 金環食は、お月さんとお天道様の共働チラリズム、これ、見て見ぬ振りが粋なりや w”
お風呂に入らなきゃ寝られないけどお風呂に入る元気がないから寝られないとか考えながら睡魔と戦いながら固まってる。



垣内美希




