外側から見るものは、そこに単位を同定し、運動を見つけ、因果を発見して、説明を加える。しかし、内側では勝手に意味もなくまわっているだけ、ということが実情に近いことは多々。
自分が調べるものだと想像したら、「絶対何か意味があるはずだ」と思うと思った。宗教かとか、逆に経済合理性を生んでるとか。やっぱり「何もない」では納得できないような。それだけ、本質的に意味に回収しようとする力は本質的で強い。
スカイツリーみたいな超大変なものを「永続的に解体と建設を繰り返す」。絶対、「あいつら何やってんだ」ってなるよな。人類が滅んだ後に資料を解読するものがいたとして、一生懸命考えても絶対分からない。はじめから意味はないから。やっぱり無意味の強度はすごい。
言葉というものは、なんでも語れてしまうからこそ抑制しなければいけないな。また、そうしてこそはじめて言葉で言葉でない何かを語るに足る質量を持つ。一生自戒し続けないと。
人は産まれたての時に純粋なんじゃなくて、いろんなものにさらされて、だんだん純粋になっていく。産まれた時はただ偶然の世界に放り込まれて、幾ばくかの困難とアイディアを経由して、必然の世界に辿り着くことができたりする。
これはうまい。あるコンテクストにさらされ続けると、分かっててもその延長に見てしまう。 http://t.co/4t4EAoa8
あれから2年か。あの日は、少し小雨の、どちらかといえば霧がかったような日だったのを覚えている。声がこれほど今ここで響いているように思い出される人はいない。一万年後に会いましょう。 http://t.co/Ek7LkUsA
絵に描かれた空を見て、「空みたいだ」と思う動物はいるかもしれないけど、空を見て「絵みたいだ」と思う動物は人間だけのような気がする。
6/9に渋谷のアップリンクで開催される、武術家の甲野善紀さんと、数学者の森田真生さんのイベント「この日の学校」に出演させて頂くことになりました。よろしくお願いします。http://t.co/3RTq8WLz
知覚が与えられた自明のものではなく、いかにメディアとともに形成されるかは、このiPadを使う赤ちゃんの動画でよく分かる。 http://t.co/b5e21FZ3
不連続な解像度の粗視化。PC的想像力を経由したから生まれただろう表現をよく見る。重いイラレやブラウザの読み込みを経験している僕たちにだから分かる。想像力(というより知覚に近い)は与えられたものではなく、時代のメディアとともに形成される。http://t.co/70LejlSN
交換可能な記号としての貨幣ではなく、交換不可能なモノとしての貨幣。それを作る素材としての紙、施されるデザイン。匿名的ではありえない、交換不可能なモノを立ち上げるために0から始める。全てがハイコンテクストになってしまう時代の創造について、いろいろ想像力をもらったような気がしました。



下西 風澄




















