しかしたしかに、本音と建前ってのは人間社会に不可欠なものだから、Facebookが「建前を実装した」っていうのは、ある意味、リアルなソーシャルメディアに近付いたという証なのかもしれない。
「分かりづらい系の冗談」と書きながら、自分そんな分かりづらい冗談なんか呟いていたっけ?という気もするのだが、たぶん、伝わりづらい、一方通行の意味不明な、冗談ともつかぬ冗談が数多くあるにちがいない。
ラーメン屋に「あぶら、あぶら、あぶら~」と唄いながら、オッサン二人組が入ってきた。注)油そばが一瞬でも早く食いたいの意。こういうオッサンの人生が羨ましい。
ビール中ジョッキ、もやし和え、葱チャーシュー、ミニチャーシュー丼。この組み合わせで1100円。これ編み出した俺すごい(再掲)。
夢のなかで、ぼくはいまみている夢のフレームを、カドマルにするべきか否かなやんでいた。カドマルにするとしたら何pxにするべきなのか...。カドマルに疑問を持つと堂々めぐりになる。夢のなかでもぼくは途方にくれていた。
堀北真希は、学校の帰り、眼鏡かけてジャージ着て、田んぼの脇のあぜ道を歩いているところをスカウトされたらしい。
「会議というものは、情報を交換するために開かれることは少ない(中略)それは、開催されることによって(中略)実際には何も起こっていないのに、何か起こっているような感じを与える効果がある」ガルブレイス http://t.co/r9Qhcahm
お洒落でネイチャーでエコロジー。店員が「こんにちはー」って挨拶する。だけど味はあたりまえのように不味い。なんだろう、こういう店。商売なめんなと思う。
地元が潤うのはいいことなんだけど、な〜んか違う感じになってるなぁ。「復興バブルに沸く 東北最大の繁華街 国分町を行く」 http://t.co/EZVhK4Cx
つまらない映画をたくさんみるよりも、お気に入りの傑作をもういっかい見たほうがたのしい。そして、なんかいも見ている映画を、もういっかい見るときのたのしさは、なにかまた別種の体験なのだ。
そうすると、観客としては、このさえないオッサンは、じつは武道の達人で、寺がピンチになると大活躍する、って期待するわけじゃん。その前振りだな、と思うわけじゃん。
ジャッキーチェンが、さえない厨房係のオジサンみたいな役柄で出てきて「いや〜、俺は武道のことはさっぱりなんだ」とか言うんだよね。ところが料理していると、身体の切れが普通じゃない。こいつ只者ではないな、みたいな演出がちょいちょい入る。
P&Gのオリンピック広告だけど、さいごの5秒くらいのコピーで、ちゃんと企業広告としても落ちているのがすごい。http://t.co/XlucwhQv
むかしはA案B案つくらされるのが、いやでいやでしょうがなかったんだけど、さいきんは、A案通すためにも、予想される反応を見込んで、対案をあらかじめ見せといたほうがいいな、と思えるようになった。とはいえ「捨て案」をつくるためにも数時間ウンウンいわなければならないというこのジレンマ。
じっさい、昔の本を読むと、出家僧なんて、半分乞食みたいなのが多かったみたいだし。家族を捨て切る決心さえつけば、お金なんてあってもなくても同んなじなんだろう。
昔の人の出家願望って、今でいうホームレス願望と似たとこあるな。つまり、世の中のしがらみ全部捨てて、世俗の楽しみ全部捨てて、じぶんの魂のありようだけに関わっていたい、というような。
見ごたえはあるんだけど、なにかグッタリしてしまう映画ではなく、2時間終わったあとに、気分が晴れ晴れするような映画がいいな。
年度末お疲れさん、俺。ビールとパスタ。この三ヶ月はよくがんばったなあ。仕事もキツかったけど、経済的にもキツかった。



松原慶太




