共産党とか公明党とか、何かそういう方面の手づるを持っておけば公営住宅の入居や共済関係、安い医療機関や地域の学校関連など、何かと「トクになる」、という認識は、高度成長期以降の「貧しい人たち」の間じゃ常識なわけで。「芸人」社会ならなおのこと。で、そこらの想像力ってどうなってるのよ。
生活保護を本来なら受けるべき人の捕捉率が先進国ではかなり低い、というハナシ関連。理由としては、生活保護を受けるのはみっともない、という古き良きポンニチの生活倫理てなところもあるにせよ、現実には、生活保護受けられる状態にあるのを知らない、ってのがはるかに多いのでは、と根拠なく予想。
生活保護に限らず、そういう「公」的な補助金や支援制度の類ってよくわからないから、必ずコンサルみたいに耳打ちする役回りがあるわけで。芸人ならなおのこと。こうしといた方がトクだよ、的におそらく「善意」で、あるいは仕事としてアドバイスしたのがいるはず。フリーライダーを生むからくり。
自分に与えられた環境、今ある間尺でひとまず十全に生きようとすること。いっぱいでなくていいから、まず器に見合った十分な中身が容れられていること。そしてそういう状態を自ら愉しみ、満足しようとしてみること。昨日より少しゆっくり、速度を落として歩いてみること。そうやって「おりる」稽古を。
通俗なフツー、鈍くてダサくてどうしようもなく垢抜けないありふれ加減に対して、鋭い嫌悪や差別感をまず抱いて瞑目してしまうか、それとも、なんだかなあ、と思いつつひとまず正対、凝視してみようとするか、そのへんの違いは実はそこから先、相当に大きなズレや距離感を生み出すことに。
ネトウヨ憂国系を「バカ」と思うのはいい。でも、彼ら彼女らはフツーの同胞たちだ。フツーというのが気に入らないなら、通俗な人たち、とでもしようか。ありふれたどこにでもいる隣の誰か。そういうフツーをひとまず黙って見つめ、静かに認めようとすることさえできないのは、少なくともスキじゃない。
誰もがこの世に生まれてきた以上、そういう不安、よるべない虚しさを必ず抱えて眼前にいる。だから、そういう誰もが逃げられない、生きている限りつきまとう不安や虚しさにつけ込むような商売は、たとえおのれが生きてゆくための方便としても、かなり卑しいものだと思っている。
生きてくってことは、明日何が起こるかわからない状態を死ぬまで続けてゆくこと。「保証」なんざどこにもない。「安心」なんてあり得ない。でも、それがどうした。そんなもんだ、昔も今も。これからもずっと。いつかきっとお許しは出る。その時が死ぬことのできる、その日になる。
もっとパンとサーカスを!! このくだらなくけったくそ悪い先行き見えないゲンジツをきっちり忘れさせてくれるような、とびっきりのパンとサーカスを!! 仮にも国家ならば、これから先もなお民主主義と言うのなら、今すぐ直ちにそれを誰にも等しく準備しろ!!(#゚Д゚)
キモチや想い、ココロの領分を自らことばにしてゆく稽古がほったらかされたまんまにされてきたから、あいまいなまま外化してくれる仕掛けに吸引される。確かに一見わかりやすいし何より簡単、努力も葛藤もいらない。カネを出して「買う」だけ。これってガチャポン商法との近似性はすでに言及済みか。
そう考えれば、あれを「投票」というカタチに変換しようとしたのは無意識も含めて絶妙だったかも。実利裏打ちのキモチを「フダ」に変換、集約して候補者に「投票」する、という選挙行動の民俗的かつ常民目線のかつての理解の仕方が、ここにきてこういう具合に表面化するとは。あるいは「賽銭」なども。
手の届かない存在、たとえばアイドルに対するキモチや想いをカタチにするのは、硫酸や汚物をぶっかけることなども含まれるわけで。ファンレター、贈り物などから遠く、あらかじめ準備された商品を買うことで外化され、競う場にエントリーされる仕組み。すでにキモチや想いは「個」的なものではなく。
親の実家に行った時に何も読むものがないので親の若い頃読んでいた本を、てな設定で歴史小説に出会う、というのが案外多い件。親のかつての読書体験が連接してゆく場。マンガもあり得るはずだが、しかしやはり活字偏重なのは何か理由があるのかも。あと、実家が僻地だとなおさら「読む」に向かうらし。
『北斗の拳』や『ベルセルク』などマンガで「戦闘」主眼の物語空間と世界観の地ならしがある程度できていたところに、ゲーム空間の開花が重なったらしいこと。映像処理エンジンの進化などPC関連の技術的フォローも当然追い風に。一方、司馬遼太郎など旧来の歴史小説も案外しっかり読んでいること。
若い衆コロキウム。ゲームに「歴史」キャラがデフォになってった過程。真田幸村と伊達政宗がフロント化の理由。十勇士は必ずしも付随せず。立川文庫以来の「伝承」の経緯と90年代以降のゲーム空間開花との連接の検証。姫キャラも平等に闘い、むしろ使いやすいキャラな件……などなど。
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イギリスでのおハナシ、ではありますが、決して人ごとじゃないすねえ(´・ω・`)
@hbnk ポンニチは一律に「食」が社会の側に委ねられ始めてるような。「個食」化でスーパーの半額惣菜買いあさるのはむしろ年寄りが、ですし。「白いトレイ」が「食器」のふりし始め、食器棚が物置化してるのが何よりの証拠(`・ω・´) ……うちの若い衆某ゼミの中間結論。
@muromav @Sukuitohananika かつて、イギリスから留学してきた文化人類学専攻の若い女性研究者が、電車等の車内で平然と居眠りするニッポン人、の研究をマジにしてました。あれ、その後どうなったのか知りませんが(´・ω・`)
公正でない、あるいは不正義である、てな感覚をそれに対して持つことは正当だとおも。ただ同時に、その感覚自体、以前はそれに対するカウンターとして働いていた「カタギじゃないもんなあ」な属性認識が薄れてきたからこそ、前面化してきたところはあるはずで。当の「在日」「芸人」側も、同じくまた。
おおざっぱ極まりないこと承知で敢えて言うけど、「在日」だって「戦後」の言語空間である意味「芸人」に重なるような属性認識されてきたわけで。ぶっちゃけ「カタギじゃないよね」系認識の対象。昨今取り沙汰される特例だの何だのも少なくともそういう属性認識の上に何となくあり、になってたフシも。



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