ふぁぼられ ふぁぼり

ふぁぼったー

lieutarのふぁぼられ(516)
bio: プギャー
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ZETMAN がドラえもんに見えてきた。スネ夫みたいのもいるし。
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自分の場合、"恋人欲しくない" = "恋人に求めるスペックが実在できない" になっている気がしている。
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“高校生の<censored>相関図から幸福と不幸を考える | 橘玲 公式サイト” http://t.co/y0iN4UIY
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“第一章 日本の美人” http://t.co/5Fm2Lqxk
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自分の学者垢の愛し方の半分くらいは共感できることについての権威づけじゃないかって気がしてる。
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誰かを劇的に変化させると言うのは、そのひとの人格を一旦ことごとく傷つけることが前提になるんだろうな。平和的な範囲で出来ることはそのひとの引き出しを探しあてるぐらいのことで、その引き出しについてのアテが外れるとひどいしっぺ返しに会うことがある。
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ソーシャルゲームみたいのはバカみたいに儲からんくても、数人の生活を支えるぐらいに儲かるもんなら、それは素敵なことだと思ったり。
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自惚れは自らの価値を支えるための他者依存が少ないと言う状態じゃないかな。即ち自分で自分のよいと思うことのかたちをよりはっきりと掴んでいる状態。
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「これをすれば絵が上手くなる」みたいなもの裏返すと「上手い絵とは方法論のある絵である」みたいなところになっちゃいそう…それの善し悪しはともかく「巧さ」とは何かみたいなところを示すものになりそーな。
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「発達障害は秀でたものを持っている」なんて発想は、「発達障害は基本的に劣っている」って発想の裏返しだよな。アスペルガーとかはドイツの優生政策への対抗としてそういったことを提示したわけだし。
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そいや、「マジメ」と「クズ」を結びつけたい動機っての、さっきの、上山さんのエントリとかにも関連してきそーね。出鱈目な生きかたをしている人たちには「マジメ」な隣人は脅威になりやすい。
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ネットを中心に事業展開している会社の見識が低すぎるのを見ると戸惑う。ネットの黎明期とかから知っている人たちが如何にも多そうであれば、せめてどういうことが非難されやすいかはわかるだろうに。
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自殺の理由と言うのは、自身が想定し信頼する絶対者の視線での自身の余生の価値が無いと感じられるときじゃないか。その自殺が他者のものであるとき、彼の想定した絶対者について、「理解できない」と言うのではなく「ナンセンス」と感じるときでしか、彼の自殺を止めようとすることは懇願以外不可能
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フロムの「自由からの逃走」読んでるけど「絆」という言葉を「自由や個人的自我の統一性を破壊する」ものの位置に置いている文が出てきてほくそえむなど
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“[ 定型発達者の「感情指向」配慮した会話の方法] by アスペルガーライフblog” http://t.co/ZnmwBuL9
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こういった種類の言説にはおおいに共感し自らも直面している。しかし、確認の成果が息苦しさの構造の解決、あるいは構造の中の人々との付き合い方といった解決の糸口がなかなか掴めないのがもどかしい。 / “なぜ日本は息苦しい国なのか - 狐の王国” http://t.co/j2wy6ABR
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風評被害の背後にあるものはもはや放射線量とかじゃないよ。誰の発表であれ、自分の信じたくないものは「信用できない」のだから。催眠術の暗示のように「できない」。差別感情と一言で片付けるのも問題がある程度に複雑な心理的な問題が横たわっている。
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きのーマイケルジャクソンの追悼イベントみたいなのの参加ダンサーのオーディションみたいなのやってたけど、その集団演技は、やっぱりマス・ゲームのように「一糸乱れぬ動き」をしているのに、全体主義臭をあんまり感じなくて、このあたりの差がどこにあるのか気になった。
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「私は大人だ」と言う意識が「それだけの責任を果たす努力を続ける」と言う自負なら良いのだけど、「オレ、大人、オマエラ、未熟」みたいな意識が見え隠れするものはとりあえず避けるべき気がする。
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CiNii って個人プランないのかしら。