このアカウントは2009年9月6日から2011年12月28日まで、ほぼ毎日ついーとしました。このアイコンのまま休眠するために、新しいアカウントに移行します。
昨日が彼人の四十九日、今日が50日で明日は51日。わたしの年齢と同じだし。新しく始めるにはいい機会。元旦とかより自己都合のほうが、らしいよね。
記憶は嘘をつくなぁ。勝手に改変してしまう。そう思いたい方へ、思いたい方へ書き変えてしまう。でも不意によみがえる記憶はそれとはまた違う。リアルで生々しい。
昨日新月だったから一日月というべき?庭のプランターに霜よけをかけに出て見つけた。いなくなった人が植えてくれたサラダ菜のプランター。寒くきれいだった。家族を呼んで一緒に見た。
死んじゃうと、終わってしまうのね。もう人生が全部決定してしまう。変えようがない。そこが不思議だ。まだ生きているからねぇ。
野菜を切りながら、不思議だ不思議だと感じるのは、自分は変わっていくのに亡くなった人は変わらないからだ、と思った。後で知らなかった一面に気がつきもするが、認識を新たにするのは生きている側で死んだ人はそのままだ。
奇跡みたいだけど、毎日PCで日記をつけることにしたのは今年から。検索性の高い、置き場所の要らない日記。おかげで故人との(ほぼ)最後の一年間が詳細に記録できている。不思議だ。
時間だけが距離を作ってくれる。時間だけが、最後のつらい思い出をそれ以前のいろんな思い出と同じくらいのサイズに変えてくれる。急ぐことは何もない。
故人がいなくてもご飯がおいしかったり世界がきれいだったり楽しく笑ったりすることが時々とても寂しい。いなくても世界が回っていくことが不思議だ。今までも世界はずっとそうだったと、わかってるつもりだったけどわかってなかったな・・・。












