ジャーマンシェパード、豆柴、ゴールデンレトリバー、シベリアンハスキー、シェットランド・シープドッグ #好きな犬の種類をつぶやいてTLを犬小屋にする
ヘビの皮膚はてらてら光ってて、ちょっと触ってみたいなーとも思ったのですが、さすがに勇気が出なかった……。あと、ヘビの目ってあんがいつぶらですね。意外とかわいかったです。
そういえば今日、大学内でヘビに会いました。「なんか道に木切れが転がっとる……」と思ったら急にうねうね動いたのでビビりました。最近はあんまりヘビを見ないからびっくりした……。
「パパ」と「ママ」の聞き分けが苦手。どっちも口の形同じだから、読み取りが難しい。発話のときに喉触らせてくれたら「喉のふるえ方」で判断できると思うけど、他人に首周辺はよう触らせんものだしなあ……。
家に帰って寝る直前に「あっあれ迷惑かけちゃったかもしれない……あ、あれもダメだったかもしれない……あ、あれも……これも……」って思い始めて、お布団の中で死にたくなる系障害者ですorz >RT
「決して焦って結論を出さないこと。焦るとどうしても短絡的になってしまいますからね。だから焦らないこと。でもやることはひとつひとつ確実に、かつスピーディーにやりましょう。その積み重ねからおのずと『結論』が見えてくるもんです」お世話になった先生のことば。
大学で初めて受けた授業では「おおお、モニタになんかいっぱい情報がある!たのしい!……あれ、ちょ、あっあっ流れていっちゃう待って待ってなにこれ、情報いっぱいある!どう処理したらええん?どこが大事なん?どこは要らんの?わからーん!」状態でした。笑。
いままで「聞こえる、聞こえてる」と思ってた情報が、実は「聞こえてない」かもしれない、そもそも「情報」ですらなかった、というのはすごく、ショックだった。足下ががらがらって崩れていくように感じた。
ようするに、じぶんの接する「情報」がいままでとは段違いに増えすぎて、とっさの処理が追いつかなかったという。その増え具合は、いままでの「わたしにとっての100%」が「0.00000005%」くらいになるほど。
はじめて情報保障を付けたときの感想をたとえて言うなら、「情報の洪水」だった。わたしの目の前のモニタにあとからあとから情報が「目に見える」かたちで流れ込んできて、「どこが大事なのか」「どこが必要ない情報なのか」を処理しきれずにパニック状態になった。
障害のある高校生に対して、支援制度のある大学の情報を伝えるのも大事だと思うけど。でも、「高校までの勉強」がわからなかったら、大学入試は突破できないのになーとも思ったり。
男女とか友情恋愛問わず好きなひとにたいして、なんかこう、すごく素っ気なくなるよなーわたし……好きすぎて素っ気なくなる。小学生か、わたしは。
わたしの障害は、「わたし」を構成する要素としては多くを占めているとも思うけど、「障害」ばかりがわたしじゃないよ。あくまでも「障害」は「わたし」を構成するものの一部にすぎないと、思う。
健常者であっても、がんばるひともいるしがんばらんひともいると思う。わたしが「がんばってる」ように見えるなら、それはわたしに「障害」があるからじゃなくて、「わたしがわたしだから」がんばってるだけだと思う。きっと障害があってもなくても、わたしはたぶん「がんばってる」よ。
わたしはあくまでも大学生活を(フツーの学生とおんなじように)フツーに過ごしてるだけだし、そもそも、がんばるということに障害の有る無しは関係ないと思う。
わたしは「フツーの学生」だよ。どこにでもいるような、フツーの学生。障害があるのにがんばってるとか言われても、「障害があるからこそ」がんばってるわけちゃうし、と思う。



ねむ





