エゴイズムとナルシシズムの時代/書いてしまえば、それで心が済んでしまうことが多い発信の仕方①
メッセージの在り方と意味自体が激変してしまっている現代社会。 http://t.co/cHnW4tZr
世の中の大半の人間は家族が居れば家族だけが死後懐かしがり、家族のない者を思い出す者は居ない。家族が居ても居ずとも大勢の人達から顧みられる人達は限られている。そしてそういう人達は人生を安定という尺度では一切見なかった人達だけだ。変わり者と言われる人達を含みそんな人達は殆ど居ない。
意味や論理の体系はあくまで言語学者や論理学者の仮説であり、それに準じて我々が意味を理解しているのでない。その点で意味は認知的であると同時に情動的であり、それらを明確に分かつものはない。それと意味とは世界把握的に対象や事象、事実に対して意味づけるという部分が重要だ。
菅直人、仙石由人、猪瀬直樹、中島義道、布施明、宇崎竜童、北野武。彼等って全員団塊世代だよね。一見それぞれ個性豊かな様で、その個性主義自体が既に古いんだよ。もっと上の世代にはそれはないし、下の世代にもそれはない。
世の中全く異性に持てない奴、常に複数から持てる奴、生涯働かず食っていける富裕な人、生涯あくせく働いていかなければいけない人色々あるから面白い。不平等で不公平だから努力したり、悩んだり面白い。皆が同じ幸福の基準でもない。その点で皆一種主義的日本モラルなんて糞食らえ。
この世の中には一見温和で温厚でその実極めつけの差別主義者達が大勢居る。役所にも会社にも大学にも何処にでも。要するに彼等は慇懃無礼で事なかれ主義で保守主義者達である。そういう安定した態度が大人の態度だと勘違いしている。その数はかなり多く、真に才能ある人達の生存を枯渇させている。
中島義道の「哲学の教科書」を待つ迄もなくプロ哲学者達の多くは現代哲学を完全に人生論と切り離している。が東洋思想(儒教でも何でも)では哲学性と人生論は切り離せない。私は率直に言って人生論的な事の方がずっと面白い。数学が得意でない事も手伝っているが。人生論を論じていきたい。
どんなに閉じたコミュニティを構成していて仲間内でしていても、それが学術的な事であれアートであれ何であれ(まるで常連だけが屯する飲み屋みたいに)そういうのって感動迄は外部の人達に強制出来ないよって言いたい。仲間に入れてやんないよって言われたって、いいよこっちこそ願い下げだよ。
@nogutaku 「ヒア・ゼア・アンド・エヴリホエア」と「フォー・ノーワン」ポール作と「アイ・ウォント・トゥ・テル・ユー」ジョージ作も「リヴォルヴァー」では好きです。
@Minority20 僕もよくお気に入りのハードコア女優の性器丸出し壁紙とかするんで、修理に出すんなら一旦引っ込めないと恥ずかしい。
@Minority20 埃がよくないから、キーボードを常に清潔にしておくべきではありますよね。
@wakusei2nd そう、愛着とか嫌いになれなさって犯罪者にだって抱くもので、その事とその犯罪者を死刑にすべきっていう判断とは同時に成立し得る。その矛盾こそが人間存在ですよ。
@wakusei2nd アニメもネットも微弱さと強さを提供するし、小泉氏も堀江氏も良くなかった部分もあったけど、良かった部分だってあるし、その方が称賛するものにだって同じ様に両方備わっているでしょう。
日本は会社や役所であれ個人の仕事であれ他者へ配慮出来る形式的踏襲能力が前提として要求されるので必然的に凡庸でもミスなく何もかもこなすタイプの成員にのみ世渡りしやすい空気となっている。要するに特異な能力の持ち主や斬新な発想の成員を爪弾きにしていく空気である事は江戸期以来変わりない。
@kassy_jpn さんには横山博人監督「卍」(谷崎潤一郎原作)で樋口加奈子+高瀬春菜+原田芳雄がいいんじゃないですかね。
@kassy_jpn アクター、アクトレスで言えば原田芳雄、大谷直子、高橋惠子、柄本明、風吹ジュン、伊藤蘭、水谷豊、沢田研二、根津甚八、古尾谷雅人、デビューしたての浅野温子、田中美佐子が活躍した時代です。タモリや安岡力也がカメオ出演した映画とかね。
@kassy_jpn 80年代ですね。「ツィゴイネルワイゼン」(80)、「無力の王」(81)、「ラブレター」(81)日活ロマンポルノ、「扉」(82)(私の監督した自主制作映画)、「水のないプール」(82)、「家族ゲーム」(83)(戸川純も出演している)、「ダブルベッド」(83)
哲学と言語学と数学と論理学① 学問上での個々の使命から考える。 http://t.co/7rT5gMGE
日本では巧く世間を渡れない者を仲間外れにする事により初めて仲間意識を持てる歪な精神構造が成立しているので、必然的に自存自立的タイプの成員はポジションを獲得出来ぬ。端的に不幸を他者に示す事は集団で忌み嫌われる事だ。その逸れ者だけの歪な共同体を構成させやすい。
若い時に得たものと失ったものはその時には分からず大分後になって、白髪も増えお爺さんやお婆さんに近い小父さん小母さんになって初めて分かる。それ迄は失ったものを得たものと勘違いし、得たものも分からない。その時に見抜ければ出世するが、出世したらしたで空しさも味わい、人生所詮いずれかだ。



西村 純 Jun Nishimura









