あと若者が歴史を知らないって開き直るのは、年寄りの「背景を勉強しろ」っていう説教が「年寄りのゲームボードに乗れ」っていう保身の声とダブって聞こえるからもあるよねきっと。そのルールじゃ勝てないから気心知れた同世代で固まろうって気持ちはわかる。
この前「botは現代の詩人」ってどなたか言っててなるほどと思った。もう人間の表現のパターンは出尽くしてマンネリ化してる。すると新しい表現領域は機械生成された文法の狂ったものぐらいしかないんだけど、むしろその非人間的なぎこちなさに人間味を感じて萌えるという逆説。まさにbotは詩人。
.kei_ex さんのゲスト原稿を通読。2万字の大作です。郊外を舞台とする作品の表象文化史としてたいへん出色の出来です。期待以上に「郊外」と「魔法」の文脈が関連づけられていて驚きました。みなさんぜひ冬コミで手にとってみてください!【31日 東Q-04a 「FEF」】
最近思うけど、問題行動起こす人も社会生活に適応してる限りでは人間性の大部分はまともなんだと思う。完璧な「普通の人」なんていないのに、個人がクローズアップされるとそのイデアルなイメージとの少しの差異が害に見えてくる。要職に就いてる人とか。
『フラクタル』がそうだけど、インテリが作るものは世の中のシミュラークル性に自覚的なので表現に目新しさがない。パクリの繋ぎ合わせ(そこが目的じゃない)。一方根っからの表現者が作るものは表現の強度はあるけど内容が無い。建築でも音楽でもだいたいそう。
津田さんの500円×300人=15万って話が良かった。最低限そこを越えられると作り手になれるらしい。 RT @Life954: 文化系トークラジオLife、「動員とマネタイズ〜文化系ビジネスモデルのゆくえ」Part6 http://t.co/c0qV151a #life954
世の中の男子が理屈をこねはじめるのは実存が壁にぶつかったからだろうけど、宮台真司的なものをどう解釈したかでその後の人生分かれる気がする。
個人的に、この若者の態度には2つほど理由があると思っている。1つは、そうした創作に打ち込む若者たちの動機づけが、そもそも浜崎あゆみ的な自意識に裏付けられたものであり、村上の批判する「半径3メートルのセカイ」をこそ志向している可能性である。(続く)
もう1つは、そうした昨今の若者たちの特徴とされる「クリエイティブというイデオロギー」自体が、消費社会的な郊外の風土によって培われたという可能性である。歴史の剥奪されたアメリカナイズな消費生活の場である郊外では、地域の伝統も地元のつながりも存在せず、(続く)
【再告知】明日(23日)の夜『とらドラ!』について語るUSTやります。ゲストは@kei_ex さん、@nakaiya1546 さん、@teramat さんです。関係性を中心にガチトークしたいと思いまーす。
『ソーシャル・ネットワーク』がいいのは、明らかにニート気質のザッカーバーグがリア充のウィンクルボス兄弟を出し抜いてイノベーションを起こすところだよね。そうした新陳代謝を若者が起こせなかったor社会が許さなかったのが日本社会の衰退の原因だという風に件の香山リカの記事は読みました。
このツイートRTしてから藤田嗣治の戦争画のこと考えてる。社会性の無さが単純にナショナリズムに反転するのも考えもんだ。例えば今回は、「震災復興」的な作品が作られるのかもしれない。藤田の戦争画はもう少しコンテクストが複雑らしいけど。 RE http://bit.ly/gkfumI
文学性が無くてもキャラ消費は成り立つが、キャラ消費の無い文学性はジリ貧であるというのは宇野さんあたりの指摘するところで。しかし逆に言えばキャラが受けなければ虚淵の文学性が評価の机上に乗ることもなかった(本人もキャラが大事だったと言ってる)。
新人が「純文学」的作品を持ってくるのはそれが自身の差し迫った問題だからで、そういう自意識の問題を漫画が扱ってくれないからゼロ年代のエロゲやラノベに読者が流れた。そういう層はたしかに狭いけど、若者の差し迫った悩みに回答しないでなにがエンターテイメントだよ、とオレは思うほう。



斉藤新人















































































































