日本人は「善意にはコストがかかる」ということを認めるのに抵抗を持っているんでないかな。「善意とは素晴らしいものだから、コストがかからずそのまま効果を発揮するのが当然」みたいな思い込み。
I liked a @YouTube video from @Demons_Night http://t.co/NDS4gWxb デーモン閣下 地上の星
「嘘をついて人を騙すやつは悪だ! そうやって騙された人を救うために私が反対方向にもっと大きい嘘をつくことはOK」と考える人は多い
私の認識は逆だな。「インターネットでは、どんな嘘でもそれなりの信者を得ることができる」が私の認識
Kiva のデフォルト率は1.16%だと聞いてて(2010年の数字)、まあ低いといっていい数字だと思うが、これは運営側がいろいろ学習した成果なのだろうなー
投資家というのは失敗から学ばない人たちである…、てのは言いすぎだろうが、人間、金儲けっつうか「夢を見る」ような話が絡むと、失敗から学習する能力が低下するよなあという気はしてる。学習と「夢」を両立させるのは簡単でないのかもしれん
黙れ小僧!お前にNGNの不幸が癒せるのか。NTT法で縛られたNTT東西が、案3に反対するISPをなだめつつ作った閉域網がNGNだ。ULAもフォールバック問題の対処とはならず、Googleにも怒られる。哀れで醜い可愛くない通信網だ。お前にNGNを救えるか!
「他人の承認を得たいがために何かを成し遂げる」タイプの人と、「他者からの承認と無関係に自分の中にある信念に従って何かを成し遂げる」タイプの人がいる。前者は迂闊さから問題を起こし易く、後者は社会集団を維持しづらい。お互い補完できると良いのだけれど、そのためにはマネジメントが必須
私の考え方はかなりモダーン寄りで、その一方で例えば個人のアイデンティティなんてものは21世紀の今日だと生物学的にも社会学的にもクライシスどころじゃないってことも承知してるんだが、必要なとき以外はそれを棚上げできるので、個人の幸福度としてはモダーンな人に近い (要は暢気)
もともと新聞やTVにもそういう傾向があったが、ソーシャルメディアでは輪をかけてこういう「人間のエピソード思考につけこんでセンセーショナルなレアケースを印象づけることで大衆を扇動する」という手法を使い易い。対策は難しいと思うが、何か考えなきゃいかんと思う
人間の認知は「単一のセンセーショナルなエピソード」に流され易い。全体の中でそういう例がほんの僅かだとしても、派手な例が一つあれば「全体がそういう傾向」と錯覚してしまう。このエピソード思考の弊害は洋の東西を問わず、アメリカでもサイエンス・コミュニケーション上の問題と指摘されている
http://t.co/rVUafMjG みたいな話を読んで「やっぱり墓も仮想化すべきでわ」と思ったんだが、ひょっとして両墓制がまさにそれなのか
「TwitterやFacebookで革命が起きる!」とは言うが、半年ぐらいたってその革命が最終的にどういう結果に終わったかということにほとんどの人が関心を払わない、つう状況は Twitter/Facebook の使われ方をよく示していると思う
スカイツリーって、「デンドロビウム4機分」と言うとすげー高く感じるが、「ボーグキューブの1辺の1/3弱」と書くとそうでもなさそうに感じる
「原発再稼働阻止」みたいな「阻止」つまり「たまたま発生した有利な状況を現状固定する」という方向でしか日本の社会を変革することはできないのかもしれんなあ…



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