すぴぱら(の画面、およびすぴぱらOP)に対する違和感、minoriの過去作OPや新海誠の過去作を見ながら考えてたら少し明確になってきた。おそらく、(人間ではない)キャラクター(の顔)は風景になり得ない、ということだと思う。
少し思うところがあって猫撫を軽く再プレイしていたのだけど、結局僕は人間でしかないのだなあ、ということを強く感じただけだった。悲しい。
図書館の地下で、友達がいることを前提に講義をする教官がこれまでどんな人生を送ってきたのか考えていたら何時の間にかこんな時間である(死)。
まあなんというか、結局主人公一人称視点から世界を動画的/映像的に捉えるのが目指している"リアル"ってことなの?というあたりで(で、そのゴールへの道半ばにあるように感じられてしまうのがまた)。ゲームにおけるリアリティとはそういうことではないのでは、とか。
すぴぱら、一人称だし基本的に主人公視点の画面だと思うのだが、そのことを構成から改めて意識させられるせいで逆に不自然さが感じられてしまうところがところどころあるのがなー。不気味の谷じゃないが、中途半端というかバランスとれてない気がするというか、うーん、とりあえずまだ道半ば感がすごい
基本的にボイスなくていいとか思っているのに、貧乏性なのでボイスOFFにすることも出来ず、結局佐本二厘ボイスなどは全部聞いており、大変罪深い。許されない。
昨晩シャツ一枚で外を放浪してたからか、体調が最悪なのだが、そのせいで特に何も出来ずに何となくTLながめてたら、結局TLのすぴぱら圧に負けて、はるくる終わらせる前にすぴぱらはじめてしまった。まあ、まほよとかD.C.とか頭に浮かんでしまうのはしょうがないかなあ。あとefっぽい砂浜とか
大体この時間だと夏の星が天頂近くにあるので、夏の大三角とか眺めてれば夏っぽい気分を味わえるだろうかと思ってボケーっと眺めてたけど、そんなことはなかった…冬は割と星みると冬な気分になるのだけど、なんでだろう。賑やかだからかな。
何となく落ち着かないので深夜散歩に繰り出したが、シャツ一枚ではさむ過ぎた。今日はこの時間だともう月は見えなくなってるんだなあ。ちょっと見たかった。





















