「やる気」という言葉は「やる気」の指し示すものが重要なんじゃなくて,やる気がある人がどのような振る舞いをするものかということが重要なんじゃないか。やる気のある振る舞いとされるものについて一定の認識が共有されていて,そのような振る舞いについて語る際に用いられる仮想的な概念がやる気
数学がわからない人のわからなさとやる気がわからない人のわからなさは似ているのかもしれないと思ったが,よくわからない
たぶんそういう,特に意味のない言葉たちを見ておもしろがれる人がときどききいて,そんな人とは仲良くなれるかもしれないと思う
店でふらふらと物を見てるときはたいていあまり買う気がない気がした。これが自分の所有物になったからといって特にうれしくはないんだろうな,のようなことをたまに思う
計算機の普及とともに形式言語の重要性がますます高まる昨今,と書き始めてなんだかよのなかのやくにたつけんきゅうの論文の書き出しみたいだなあと思った
proofs are populated by more uninteresting details という表現いいな
まあ周りは大学に入ってしばらくすると英単語力が下がるというけど,ぼくは下がったと感じたことは一度もない。受験が終わると使わなくなって忘れてしまうような単語はそもそもはじめから覚えてなかったからかもしれない。












