ふぁぼられ ふぁぼり

ふぁぼったー

triyolのふぁぼられ(167)
bio: ハァ~… 今はもうプリキュアの話はしたくないミル。
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つか別に子供向けアニメ番組だろうがなかろうが権利者の立場は変らないだろう。そういう立場を「子供向けアニメ」という概念を「大人みんなが子供たちのために云々」というレトリックに転じてネット良識全体主義に働きかけることでもって押し通そうとするのはちょっとなー。
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プリキュアなんて完全にパノプティックな力学だけでダイナミズム維持してますなんて胸を張れるものでもない気もするし。そういや俺ふたばでの初代のバカコラ祭りに遭遇してなかったらプリキュア観なかったかもな。
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胃之上奇嘉郎先生のシュタゲ萌郁さん本に只の汁端役として出てくるルカ子の<censored>顔(小コマ)が凄くよくてやっぱ上手い人はこういうとこ違うよなぁなどと。
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『映画けいおん!』の話、あれTV版で一度描かれたエピソードの再提示であり殆どの観客にとって結末が「既知」だという点も、現状フィクションが「ifの余地無くそのようにしか収束しないただ一つの事実=現実」しか描きえない事の自己言及になってる訳よね。細部から大枠まで一貫したフラクタル。
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謎のアタッシュケースを携えてトレンチコートとハットという姿で「ああこの前はどうも。いやな仕事させて…」って感じで登場する戦略影響調査会議からきた人という体でやるサバゲ。
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この手のは馬場論や氷川さんのシナリオ講座を齧り読みしただけなんだけどこの「■TRPGにおける〈プレイング〉の認知的プロセス」の実例が具体的で腑に落ちた。 会話型RPG(TRPG)における〈プレイング〉の内実(改訂版)http://t.co/29ATFUJ5
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ダンボール戦機って大人だけで何かしてるシーンの方がより茶番シーンだよね。
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子供向けホビーのマーケティングで児童誌に出てるミニ四ファイター的なお兄さんの乗り切れてなさって最早様式美と言っていいほど共通してる特長だよね。大人はこういう事真顔でやっちゃいけないんだよという事を言外に含ませてる。これが適当な所で子供から足を洗うコロコロっ子の健全さを形成してる。
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ハンタって今やってる章凄く茶番って感じだけど線もそれに合わせて変えてあるから冨樫先生まじ全能。ウェルメイドというか舗装された線描。
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ニュースで学者に話を訊きに行ってに態々研究室やら書斎やらで撮影してるのにパンフォーカスで撮らないカメラマンは二流。
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イラスト同人のあとがき文字の類型って確かにあると思うんだけど、彼ら日常生活でもああいう字書くのかな。
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しかもゆりしー雪歩の場合って普段は気にならないけどふとした瞬間に「あれ?実は無茶な声出してる?」と感じられる危うさが雪歩の危うさに回収されて何故か納得できてしまうのが表現として稀有だったと思うんだよな。
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真似しやすいといえども旧雪歩みたいな声ってハスキー声の人は普通やろうとしない・出来ない類型で、だからこそ類型もパーソナリティも際立ってたと思う。
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ゆりしー雪歩の類型ってかなり誰でも真似できる部類で、だからこそゆりしー本人のパーソナリティ(音声的には息漏れ・ハスキー声)が対位的に強調されてそれが雪歩へのパーソナリティ付与になってた。だからあずみんがゆりしー雪歩類型を真似しないのは正しい。
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中二病をギンギンに冴え渡らせに行きたい。
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チョコレートは活性酸素の産生量が半端ない食べ物なんですよ実は。
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女装だのショタだの男の娘だのに耽溺するのが、フェミニズム勝利後の世界で自虐快楽を強いられるという被搾取に過ぎないと気づいたとき、人が自然とふたなりに行き着くのは必定というもの。
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コミケスタッフユーモアの寒さ凄いよね。「お前らこのネタ言っとけば笑うだろ」みたいな意図が透けて見える。一昔前のテレビのオタ弄り番組みたいな。それを今やオタがオタに対して実践してる。
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MAGネットみたいなサブカルチャー特集番組って、マイノリティの需要を発見して紹介していくというより、マイノリティに政治的勝利感を提供するためにあるような。メディアによる承認という政治的勝利感。
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ミンゴスの喉を潰して声を出し始める歌い方はまんま千早の背負う物語をフラクタルに顕現させているわけで、本当に奇跡的なキャスティング。