易や星読みや陰陽道も、ゲームの運行がゲーム外の事柄を決定するっていう共感呪術めいたロジックだけど、真摯にプレイされたゲームが真実に勝るっていうのはむしろ日常的な事だと思う。現実に対して決定権を持つかどうかは、そのゲームの性質にもよるだろうけど。
祭りの起源は一般的に五穀豊穣の祈りだとか宗教的な云々だと言われてるけど、「ウオアアアってなったから」という説を支持したい。
人格者であることと、よい表現者であることはあまり関係がないように思えるので、その道を進むと、自然とデスピサロじみてくる印象がある。
ものの印象や色や言葉の意味やらが人それぞれで全然違うよ、というのは良く聞くけど、「とても似ているけど実は全然違う」ものの内実を見せ付けられると、その都度「自分も人間のフリしてるだけじゃね?」と、恐ろしくなる。そういう点で、変な人よりも、普通の人の方が怖い。
以前会った認知症の人で、色鉛筆と定規を使って、シンメトリーでカラフルなパターンを何千枚も描いている人がいた。その絵には一枚も同じ図柄が無かったが、その人と話していると、数分刻みで全く同じ話が繰り返された。
あと夢の中でレディガガアプリ落とした。iPhoneを腰にベルトで固定して、<censored>の時に腰を動かすとレントゲンみたいな断面図が表示されて、女子力も鍛えられるみたいなやつだった。
芸術とかアーティストというと敷居が高い気がするが、カナダで将来なりたいもの話せって言われて「アーティストになりまーッス」って言ったら「作品作ってるおめーは既にアーティストだから将来はフェイマスなアーティストだろうが」って言われてカルチャーショックだった。
言葉を使うこと自体が何らかのイカサマゲームみたいに思えるため出来る限り言葉を使いたくないが結局たっぷりと使わざるを得ないのでくやしい。



村木正嘉










