どうでもいいことなんだけど、誰に聞かれても問題がないようなことはだいたいの場合どうでもいいことで、本当に伝えたいことは秘密の場所でこっそりと伝えるんだと思う。
うまく呼吸ができないのは、まさに自分の手が自分の首を締めているから、という可能性はないでしょうか。
まあそんなことを言い出すとパルテノン神殿は見たのか、とか、ウユニ塩湖は見たのか、とか、彼女が泣いたときの顔は見たのか、とかいろいろきりがない。たいていのものは見ないままで終わる。
ブログを読みながらこのひと大学生かなあとか思いつつどんどん過去に遡っていくと中学生の頃の日記まで読めたりする。それってなにか決定的にすごいことのように思う。見ず知らずの名前も知らないひとなんだけど、なにかの間違いで成長の軌跡を読んでしまってやたら親近感を覚えたりするのはへんだ。
太宰メソッドおもしろい。世間の部分を置き換えてみるのもおもしろいかも。正義とか、常識とか。 http://t.co/9ogYlix7
僕のものでもなければ君のものでもない。で、この宙ぶらりんな情報を Facebook が全部自分のものにしてる。で、それを売りさばいてお金に変えてる。
僕と君は友達だ、っていうとき、僕っていう情報は僕のもので、君っていう情報は君のものだとして、じゃあ友達だっていう情報は誰のものだ?
僕の欲しいものをいちばんよく知っているのは Amazon のデータベースだ。これはすこしさみしい。
ペンを使って長い文章を書くという行為はちょうど着物を着て出掛けるのと同じような位置付けになるのかもしんない。道具が変われば、それによって作られる製品も変わるはずだけど、変化の真っただ中にいるひとはそれに気づかない。そういうのはおもしろいと思う。
『フォトグラフィーは、「光で描く」という意味。光を操ること』ってやつがいちばん印象に残った。
Twitter は議論に向いていないって話はもう完璧に同意します。むしろ妄想に向いてる。



Yoshihiro Hayashi








