20%ルールを有効に機能させようとおもったら通常業務が80%以下で終わらないといけなくて、(飛躍すると)裁量労働制のほうが向いてるよねえ。
簡単に言うと、「何がイノベーティブな新規事業になるか」なんて「事前には分からない」んだから、投資の際(=事前)の判断基準はメタレベルで行うしかない。オブジェクトレベルでの判断では、つねに自明な持続的イノベーションへの投資に回収されてしまうわけ。だから問題はメタレベル基準の設計。
自己分析。過去の経験を振り返って、自己紹介を磨くのはいい。地に足が着いてる。経験的・実践的。でも、経験不足(材料不足)の学生がいるときに超越論的な「ねつ造」を教唆する人がいる。これが学生を苦しめるんじゃないかな。
大手企業の新規事業投資は合理的に失敗する。「確実に成功する」(といいつつ失敗もするのだが)持続的イノベーションにしか投資しないから。『イノベーションへの解』の教訓は「イノベーションへの投資は必要になってから始めても手遅れ」だということ。不確実性へ投資する組織的能力が必要。
就活生の実存的な悩みは、就活の脱超越論化により解消されるのではないか。自己像の超越論が悩みの原因ではないだろうか。「自己分析」を主題化したうえで、そうした超越論性から決別するための「就活の哲学」が必要ではないか。とかなんとか。
" いずれにせよ、どんなものにも正と負の両面があるということが、これほど顕在化したことは、これまであまり例がないのではないでしょうか。東日本大震災、そして原発事故による、長期にわたる低線量被曝。これは日本社会が..."... http://t.co/qTPxRxaE
エバーノートあんだけ資金調達して何年も開発してるくせにアプリ落ちたらノート消えるとか何なんだ。自動保存しらないのか。
(原理的なレベルで意見が食い違ってしまっている場合に)「哲学というのはそういう場面で議論を整理してなにがしかのことを言う能力と責任のある学問」伊勢田哲治
工学的設計は科学理論ほど抽象度が高くないので、ひとつの人工物のなかに異なるパラダイムを混在させることも可能だろう。疎結合なサブシステム群として。
テック系ニュースをウォッチして新しい他人が作った製品を触ることに日々の時間を費やすことを「仕事」だの「調査」だの呼ぶほどぼくの時間は潤沢ではないというか他人の作るほとんどのものに関心がないというか自分の製品のユーザーにしか関心がないというか
科学哲学といえばヒュームの肖像画のドヤ顔を思い出す。と思っていま調べたらそんなにドヤ顔ではなかった。 http://t.co/uHnQd2suファイル:David_Hume.jpg
「複数アカウントの使い分け」みたいな機能の話をしてるんじゃなくて社会における主流思想とアーキテクチャの関係の話ですよ。団地とインターナショナルスタイル。
やっと出てきた。しばしば予言してたけど、複数的アイデンティティ。これが成功するかどうかはともかく、こういうアーキテクチャかはともかく、社会は複数的アイデンティティのオンライン化を求める、というのがぼくの長期的展望。 http://t.co/Mf3CSteC
もっと身体的快楽を伴う製品がスタートアップから出てきて欲しいなあ個人的にというか個人的でない発言なんてありませんが閑話休題Flasherが下請ウェブ制作会社からベンチャーに転じる流れとかないのかなー
生産的労働としての思考の、時間資源についてのエコノミクスは、「何を思考するか」(思考の機会費用)と、思考を含む「行動」についての「何をするか」(行動の機会費用)との二つの水準での選択に関わる。要するに「フレーム問題に陥ったロボット」ではないヒトの生きる道は選択にかかっている。
哲学を実践することが、哲学を目的に従属させることになるとき、だいたいよくない歴史的失敗に終わってきた。だがこれは哲学のせいではなく、あらゆる実践にそういう性質があるに過ぎない。よい結果がなぜよかったのかを問題化するよりはるかに多くの努力が、よくない結果に向けられてきた。
哲学は消費的労働だが、それほど資源を消尽しないので、軽度の消費的労働といえる。もっと過剰を消尽するような哲学があってもいいはずだ。コンプガチャの哲学とか。















